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トルコ諸々2
- 2010/01/31(Sun) -
トルコの観光のはじめに現地ガイド シナンさんは言った。
「トルコ人は大変親日的ですよ。
それはエルトゥールル号の遭難事件があったからです。」


エルトゥールル号の遭難事件

トルコでは教科書にのっていて子供達も知っているそうだ。


そしてその恩返しとしてイラン、イラク戦争の時には
日本航空も自衛隊機もむかえに行く事ができずに
イランに残されてしまった215人の日本人全員がトルコ政府の好意により
トルコ航空によって無事にで帰国できたそうだ。

シナンさんいわく「トルコ人 親切は決して忘れません!」



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写真を撮っていい!
と言うと笑顔で応じてくれたし、気軽に話もしてくれたお兄さん達
トルコは平均年齢が30才台だそうだ。


シナンさんの話の中で一番気になったのは、
トルコの徴兵制の話だった。

男性には15ヶ月間の兵役(大卒者は12ヶ月)が課され、
それぞれ陸軍・海軍・空軍等に配属されるそうだ。
配属先は出身地が安全な西側の人はイラク イランとの国境付近に配置され、
東側の危険をはらんだ地方の人は、西側の安全な地方に配属される。
この兵役経験を経てこの国の男子は大きく成長して社会復帰するのだそうだ。

シナンさんは続けて
「国あっての私たちの生活です。
国の安全のためには、兵役も高い税金を払っている軍隊も必要なのです。」

「テレビの画面に数字が何の説明もなく出ているのは、
今日軍隊で亡くなった人の数です。
訓練中になくなったのか、
戦闘でなくなったのか、
家族にも何故亡くなったかは何も知らされません。
きのうは3だったかな・・・。」

ショックだった。


平和で当たり前といった感じで過ごしている私には。
テレビの端にポツンとそんな重大な数字が出ることも。

国際情勢の厳しい国々が近隣にある中で、仕方のない事なのですね。



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ゴマパンを売るおじさん
このパンはほんとに美味しいです。
笑顔がほんとに素敵です。

その国を好きになるきっかけはいろいろあるが、
景色が美しい事もあるし、
食べ物がおいしい事もあるし、
歴史が興味深い事もある。
でも1番はその国の人々を好きになる事だと思う。

そんな意味でトルコは大好き、楽しい旅行でした。


もしこの拙い旅行記を読んでくださった方が、
居られましたら 本当にありがとうございました。





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トルコ諸々1
- 2010/01/30(Sat) -
トルコではエジプトとは違い、
「生野菜もカットフルーツも食べて大丈夫ですよ」と言われた。
夕食は2回を除いてバイキング方式だったので、
好みの物をチョイスして食べてみた。
現地ガイドさんが「このホテルではこれが美味しいよ!」
と他では食べられない物をアドバイスしてくれたので、
色々とトライしてみた。

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バムッカレの夜までは大体こんな食事風景だった。
トルコのお料理は素材を生かした淡白な味付けで、
とっても美味しかった。

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いろいろに味付けされたオリーブとチーズ

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ヨーグルトと果物など

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乾しイチジクなどのドライフルーツ

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生野菜とハムなど
メインのお料理はぞれぞれ保温のため
蓋つき容器に入っていたために撮っていない。

美味しいなと思ったのはヨーグルトと乾しイチジク
トルコはヨーグルト発祥の地なのだ。
イチジクはお土産にも買って帰った。


しかし思わぬ展開で9日目の朝エフェスに行ったあたりから
胃が急に痛くなり、何にも食べられなくなってしまった。

ホテルの夕食にも行けず一人で部屋に寝ていた時などには、
今回の旅行のハイライト、イスタンブールにも今から行くのに、
もっと悪くなったらどうしょうと心配で
アラーの神におすがりしたい気持ちでいっぱいだった。

話は飛んでしまうが、
イスラム教徒は基本的に1日5回の礼拝をする事になっているが、
仕事などで出来ない場合、夜にまとめてやっても良いそうだ。
ホテルなどではメッカの方向を示すため引き出しなどの中に、矢印が付いているらしい。
もちろん探してみましたよ!



その後同行の女性(後でわかったのだがこの方は優秀な保健師さんだったのだ)
胃薬やビタミン剤を頂き2日ほどで、一応元気に戻れた。
ビタミン剤ってこんな時ほんとに役に立つんですね。

しかしその後も成田到着まで、食べられない事には変わりがなかった。
トルコのお料理に拒否反応が起きたのか帰りの機内食(トルコ航空だったので)まで。

成田到着後コンビニで買ったおにぎりはとっても美味しく食べられたのだ。
ほんとに不思議です!



具合が悪かった間もお買い物だけは出来た。
こういう時には新たなエネルギーが出るんですね。

トルコ石専門店で斬新な形のトルコ石を、
革製品の専門店KIRCILARでは
夫の一押し「いいじゃない 買えば!」
でお気に入りのジャケットを。
子羊の皮で出来ていて、とてもやわらかく、しかもとっても軽い。
旅行の時などとっても役立ちそうだ。

そしてモデル初体験も。






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ガラタ橋
- 2010/01/29(Fri) -
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金角湾に架かり旧市街と新市街を結ぶガラタ橋では
沢山の人が釣りを楽しんでいた。
釣り糸に5匹ほどの小さい魚が15cm置きぐらいに並んで釣れていたりするのだ。

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どんな魚が釣れるのかなと、見てみると
10cmから15cmの鯵が沢山入っていた。


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ガラタ橋のたもとにある新市街の魚市場

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豪快な鯖サンド
フランスパンを半分に切りスライスして
中に半身の鯖の焼いたもの、レタス、トマトが挟んである。
ソースの様な物はなく、レモンをたっぷりかけて食べるのだ。
飲み物は地元の人が鯖サンドの時は必ず飲むと言う紫色の大根ジュース。
味はやっぱり大根です。

私は体調が戻らないままだったので、ちぎってみた物の
食べる気にはならずに写真に収めるだけにした。

魚釣りのおじさんたちの昼食には最適なのかもしれませんね。




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ボスフォラス海峡クルーズ
- 2010/01/28(Thu) -
イスタンブールはボスポラス海峡を挟んで西側がヨーロッパ、
東側がアジアと2つの大陸に分かれている。
ガラタ橋の近くにある観光船に乗り場より出発
この日は曇りでしかも寒かったがマルマラ海と黒海をつなぐ
ボスフォラス海峡を体感できた。
今回の旅行ではヨーロッパサイドの観光が主だったのだが、
遠くにだったけれどアジアサイドの雰囲気も船から眺める事ができた。

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ドルマバフチェ宮殿
トプカプ宮殿に変わり1859年建設のオスマン帝国末期の宮殿
ヨーロッパサイドには観光スポットが点在していた。


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ルメリ・ヒサールの要塞
コンスタンチノープルを攻略するためにメフメット2世が築いた要塞

ルメリ・ヒサールの対岸には、アナドル・ヒサールがあり
この2つの要塞でビザンチン軍を海上封鎖しコンスタンチノープルを攻略した。
そう考えるとやっぱり迫力ある要塞ですね。



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ヨーロッパサイドとアジアサイドは海峡に架けられた2つの橋でむすばれている。
これは第2ボスフォラス大橋
この橋を通り越してズンズン進めば黒海にでるのだが、
海峡クルーズは橋を過ぎたあたりでUターンをしてしまった。

第一ボスフォラス大橋 は1973年建設
第2ボスフォラス大橋は、
石川島播磨重工、三菱重工などが参加し、1988年に完成。
現在はアジアサイドのウスキュダルより海底トンネルが
日本企業(大成建設だったかな?)より建設されているときいた。
日本企業頑張ってます。


デッキに出て寒い風に当たりながらの観光だったが、
船室に入って熱いチャイを飲むと元気になれた。
ホテルやレストランで飲むチャイはティカップで出されるのでつまらないが、
バス異動のときに立ち寄る小さな店や、船内の売店では、耐熱ガラスのチャイ専用カップで出される。
その雰囲気がいいのかもしれないが、
疲れたときに飲む熱いチャイはほんとに美味しかった。



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アヤ・ソフィア
- 2010/01/25(Mon) -
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ビザンチン時代にキリスト教会として建てられ
オスマントルコ時代にはモスクとなった大聖堂。

360年 コンスタンチヌス2世が建設
焼失又反乱による崩壊を経て

537年 ユスティアヌス1世が再建
キリスト教世界最大の壮大な新聖堂アヤソフィアが完成
周囲に修道院なども設けた信仰の中心地となる。
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1453年 コンスタンチノープルを征服したオスマン帝国のメフメット2世が、
キリスト教聖堂をイスラム教モスクに変える 
モザイクなどは漆喰で塗り込められ、ミナレットが建設される

1934年
トルコ共和国となりアタチュルクはアヤソフィアを博物館とする。
その時漆喰などが取り除かれてキリスト教のモザイクが蘇った。

ローマのサン・ピエトロ、ミラノのドゥオモ、ロンドンのセント・ポールについで
世界で4番目の大きさだそうだ。
5番目が何処なのか知らないが一応4番目までは観る事が出来た。


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後陣

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後陣の最上部に蘇ったモザイクの聖母子像



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オスマントルコ時代のイスラム教のミヒラブ
聖母子像の下にはメッカの方向を示すこのミヒラブと
説教壇があった。

蘇ったキリスト教の聖母子像とイスラムのミヒラブが同居する風景だ。

(私はスペインのメスキータを思い出した。
メスキータもキリスト教とイスラム教の同居した風景だったが、
これはイスラム教会だったものがレコンキスタ後にキリスト教大寺院になった物だ。)

今回イスタンブールで見たモスクは
スレイマニエ・ジャミーは1557年に建設
ブルーモスクは1616年頃に建設されている。

それらはアヤソフィアの歴史には遠く及ばない。



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アヤソフィアの中央の大ドーム
高さ56m、直径31m。
現在修復中。



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スレイマニエ・ジャミー
- 2010/01/22(Fri) -
オスマントルコ絶頂期のスルタン スレイマン1世のモスク
天才建築家シナンの傑作

現地ガイドのシナンさんの名前は
お父様が尊敬していたこの建築家から取ったそうだ。


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モスク内部
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全体に軽やかで清々しい印象だった。
イズニックタイルのブルーがさわやかで、
ステンドグラスの窓から差し込む光で
ドーム全体がとても明るい。
外は垂れ込めた曇り空だったのに。

正面にミヒラブと白い大理石の説教壇がある。

今まで見たドームの中で1番好きかな。

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絨毯には一人の礼拝スペースがデザインされている。



夢枕獏の「シナン」
トルコへの興味がうすれないうちに是非読んでみたい。


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ガラタ橋から見たスレイマニエ・ジャミー


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トプカプ宮殿
- 2010/01/22(Fri) -
トプカプ宮殿

15世紀にイスタンブールを征服したメフメット2世が建設
歴代のスルタンが増築しながら400年にわたり居城としたとある。
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皇帝の門



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アヤ・イリニ教会


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表敬の門



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幸福の門


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右端のご夫婦の食事風景がいいですね!

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最も奥ににあるテラスから

トプカプ宮殿は、庭園が中央部分にあり、その周りにいくつもの建物が取り囲む構造になっている。
会議の間、謁見の館、ハレム(一部だけ)、宝物館等を観光する。
宝物館の86カラットの「スプーン職人のダイヤモンド」は
照明を落とした部屋の中で遠くからでも輝いて見えた。

宝物館だけは長い行列が出来ていたが、
歴代のスルタンが集めた宝物の数々
ため息です。

ハレムは時間がなく見なかったのだが、
その中の厨房では当時1000人以上の料理人が、
常時5000人分の食事を用意していたとか・・・
驚き!



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