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トルコ諸々2
- 2010/01/31(Sun) -
トルコの観光のはじめに現地ガイド シナンさんは言った。
「トルコ人は大変親日的ですよ。
それはエルトゥールル号の遭難事件があったからです。」


エルトゥールル号の遭難事件

トルコでは教科書にのっていて子供達も知っているそうだ。


そしてその恩返しとしてイラン、イラク戦争の時には
日本航空も自衛隊機もむかえに行く事ができずに
イランに残されてしまった215人の日本人全員がトルコ政府の好意により
トルコ航空によって無事にで帰国できたそうだ。

シナンさんいわく「トルコ人 親切は決して忘れません!」



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写真を撮っていい!
と言うと笑顔で応じてくれたし、気軽に話もしてくれたお兄さん達
トルコは平均年齢が30才台だそうだ。


シナンさんの話の中で一番気になったのは、
トルコの徴兵制の話だった。

男性には15ヶ月間の兵役(大卒者は12ヶ月)が課され、
それぞれ陸軍・海軍・空軍等に配属されるそうだ。
配属先は出身地が安全な西側の人はイラク イランとの国境付近に配置され、
東側の危険をはらんだ地方の人は、西側の安全な地方に配属される。
この兵役経験を経てこの国の男子は大きく成長して社会復帰するのだそうだ。

シナンさんは続けて
「国あっての私たちの生活です。
国の安全のためには、兵役も高い税金を払っている軍隊も必要なのです。」

「テレビの画面に数字が何の説明もなく出ているのは、
今日軍隊で亡くなった人の数です。
訓練中になくなったのか、
戦闘でなくなったのか、
家族にも何故亡くなったかは何も知らされません。
きのうは3だったかな・・・。」

ショックだった。


平和で当たり前といった感じで過ごしている私には。
テレビの端にポツンとそんな重大な数字が出ることも。

国際情勢の厳しい国々が近隣にある中で、仕方のない事なのですね。



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ゴマパンを売るおじさん
このパンはほんとに美味しいです。
笑顔がほんとに素敵です。

その国を好きになるきっかけはいろいろあるが、
景色が美しい事もあるし、
食べ物がおいしい事もあるし、
歴史が興味深い事もある。
でも1番はその国の人々を好きになる事だと思う。

そんな意味でトルコは大好き、楽しい旅行でした。


もしこの拙い旅行記を読んでくださった方が、
居られましたら 本当にありがとうございました。





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トルコ諸々1
- 2010/01/30(Sat) -
トルコではエジプトとは違い、
「生野菜もカットフルーツも食べて大丈夫ですよ」と言われた。
夕食は2回を除いてバイキング方式だったので、
好みの物をチョイスして食べてみた。
現地ガイドさんが「このホテルではこれが美味しいよ!」
と他では食べられない物をアドバイスしてくれたので、
色々とトライしてみた。

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バムッカレの夜までは大体こんな食事風景だった。
トルコのお料理は素材を生かした淡白な味付けで、
とっても美味しかった。

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いろいろに味付けされたオリーブとチーズ

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ヨーグルトと果物など

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乾しイチジクなどのドライフルーツ

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生野菜とハムなど
メインのお料理はぞれぞれ保温のため
蓋つき容器に入っていたために撮っていない。

美味しいなと思ったのはヨーグルトと乾しイチジク
トルコはヨーグルト発祥の地なのだ。
イチジクはお土産にも買って帰った。


しかし思わぬ展開で9日目の朝エフェスに行ったあたりから
胃が急に痛くなり、何にも食べられなくなってしまった。

ホテルの夕食にも行けず一人で部屋に寝ていた時などには、
今回の旅行のハイライト、イスタンブールにも今から行くのに、
もっと悪くなったらどうしょうと心配で
アラーの神におすがりしたい気持ちでいっぱいだった。

話は飛んでしまうが、
イスラム教徒は基本的に1日5回の礼拝をする事になっているが、
仕事などで出来ない場合、夜にまとめてやっても良いそうだ。
ホテルなどではメッカの方向を示すため引き出しなどの中に、矢印が付いているらしい。
もちろん探してみましたよ!



その後同行の女性(後でわかったのだがこの方は優秀な保健師さんだったのだ)
胃薬やビタミン剤を頂き2日ほどで、一応元気に戻れた。
ビタミン剤ってこんな時ほんとに役に立つんですね。

しかしその後も成田到着まで、食べられない事には変わりがなかった。
トルコのお料理に拒否反応が起きたのか帰りの機内食(トルコ航空だったので)まで。

成田到着後コンビニで買ったおにぎりはとっても美味しく食べられたのだ。
ほんとに不思議です!



具合が悪かった間もお買い物だけは出来た。
こういう時には新たなエネルギーが出るんですね。

トルコ石専門店で斬新な形のトルコ石を、
革製品の専門店KIRCILARでは
夫の一押し「いいじゃない 買えば!」
でお気に入りのジャケットを。
子羊の皮で出来ていて、とてもやわらかく、しかもとっても軽い。
旅行の時などとっても役立ちそうだ。

そしてモデル初体験も。






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ガラタ橋
- 2010/01/29(Fri) -
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金角湾に架かり旧市街と新市街を結ぶガラタ橋では
沢山の人が釣りを楽しんでいた。
釣り糸に5匹ほどの小さい魚が15cm置きぐらいに並んで釣れていたりするのだ。

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どんな魚が釣れるのかなと、見てみると
10cmから15cmの鯵が沢山入っていた。


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ガラタ橋のたもとにある新市街の魚市場

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豪快な鯖サンド
フランスパンを半分に切りスライスして
中に半身の鯖の焼いたもの、レタス、トマトが挟んである。
ソースの様な物はなく、レモンをたっぷりかけて食べるのだ。
飲み物は地元の人が鯖サンドの時は必ず飲むと言う紫色の大根ジュース。
味はやっぱり大根です。

私は体調が戻らないままだったので、ちぎってみた物の
食べる気にはならずに写真に収めるだけにした。

魚釣りのおじさんたちの昼食には最適なのかもしれませんね。




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ボスフォラス海峡クルーズ
- 2010/01/28(Thu) -
イスタンブールはボスポラス海峡を挟んで西側がヨーロッパ、
東側がアジアと2つの大陸に分かれている。
ガラタ橋の近くにある観光船に乗り場より出発
この日は曇りでしかも寒かったがマルマラ海と黒海をつなぐ
ボスフォラス海峡を体感できた。
今回の旅行ではヨーロッパサイドの観光が主だったのだが、
遠くにだったけれどアジアサイドの雰囲気も船から眺める事ができた。

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ドルマバフチェ宮殿
トプカプ宮殿に変わり1859年建設のオスマン帝国末期の宮殿
ヨーロッパサイドには観光スポットが点在していた。


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ルメリ・ヒサールの要塞
コンスタンチノープルを攻略するためにメフメット2世が築いた要塞

ルメリ・ヒサールの対岸には、アナドル・ヒサールがあり
この2つの要塞でビザンチン軍を海上封鎖しコンスタンチノープルを攻略した。
そう考えるとやっぱり迫力ある要塞ですね。



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ヨーロッパサイドとアジアサイドは海峡に架けられた2つの橋でむすばれている。
これは第2ボスフォラス大橋
この橋を通り越してズンズン進めば黒海にでるのだが、
海峡クルーズは橋を過ぎたあたりでUターンをしてしまった。

第一ボスフォラス大橋 は1973年建設
第2ボスフォラス大橋は、
石川島播磨重工、三菱重工などが参加し、1988年に完成。
現在はアジアサイドのウスキュダルより海底トンネルが
日本企業(大成建設だったかな?)より建設されているときいた。
日本企業頑張ってます。


デッキに出て寒い風に当たりながらの観光だったが、
船室に入って熱いチャイを飲むと元気になれた。
ホテルやレストランで飲むチャイはティカップで出されるのでつまらないが、
バス異動のときに立ち寄る小さな店や、船内の売店では、耐熱ガラスのチャイ専用カップで出される。
その雰囲気がいいのかもしれないが、
疲れたときに飲む熱いチャイはほんとに美味しかった。



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初交配の花
- 2010/01/26(Tue) -
初交配の花が1株咲き始めました。
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べティラニカー×ピンクリバーシブルダブル
2007年の交配です。
うちのべティさんにはよれがあるし、ピンクリバーシブルだって
何処にでもありそうな花なのです。
2007年にはいい花を持っていなかったし、
それは今でもあんまり変わらないんですけどね。

でも なにより自分で交配しその種から花が咲いた事が
嬉しい!
この花を見ていると もしかしてうまく受粉してなくてピンクリバーシブルのセルフという
疑いも残りますが・・・・・・
あれっ  そんな事はないですね。
だって種はべティの方から収穫したんだから。
しっかり交配できています。完璧!



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これはsakuさんに頂いた種からの蕾です。
なにやら期待の持てそうな蕾なんですよね。
それに葉っぱが綺麗、
抱葉や小苞もピシッと決まってます。
やっぱり素質が違うんですね。

どんな花になってくれるのか
楽しみです!



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アヤ・ソフィア
- 2010/01/25(Mon) -
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ビザンチン時代にキリスト教会として建てられ
オスマントルコ時代にはモスクとなった大聖堂。

360年 コンスタンチヌス2世が建設
焼失又反乱による崩壊を経て

537年 ユスティアヌス1世が再建
キリスト教世界最大の壮大な新聖堂アヤソフィアが完成
周囲に修道院なども設けた信仰の中心地となる。
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1453年 コンスタンチノープルを征服したオスマン帝国のメフメット2世が、
キリスト教聖堂をイスラム教モスクに変える 
モザイクなどは漆喰で塗り込められ、ミナレットが建設される

1934年
トルコ共和国となりアタチュルクはアヤソフィアを博物館とする。
その時漆喰などが取り除かれてキリスト教のモザイクが蘇った。

ローマのサン・ピエトロ、ミラノのドゥオモ、ロンドンのセント・ポールについで
世界で4番目の大きさだそうだ。
5番目が何処なのか知らないが一応4番目までは観る事が出来た。


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後陣

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後陣の最上部に蘇ったモザイクの聖母子像



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オスマントルコ時代のイスラム教のミヒラブ
聖母子像の下にはメッカの方向を示すこのミヒラブと
説教壇があった。

蘇ったキリスト教の聖母子像とイスラムのミヒラブが同居する風景だ。

(私はスペインのメスキータを思い出した。
メスキータもキリスト教とイスラム教の同居した風景だったが、
これはイスラム教会だったものがレコンキスタ後にキリスト教大寺院になった物だ。)

今回イスタンブールで見たモスクは
スレイマニエ・ジャミーは1557年に建設
ブルーモスクは1616年頃に建設されている。

それらはアヤソフィアの歴史には遠く及ばない。



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アヤソフィアの中央の大ドーム
高さ56m、直径31m。
現在修復中。



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スレイマニエ・ジャミー
- 2010/01/22(Fri) -
オスマントルコ絶頂期のスルタン スレイマン1世のモスク
天才建築家シナンの傑作

現地ガイドのシナンさんの名前は
お父様が尊敬していたこの建築家から取ったそうだ。


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モスク内部
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全体に軽やかで清々しい印象だった。
イズニックタイルのブルーがさわやかで、
ステンドグラスの窓から差し込む光で
ドーム全体がとても明るい。
外は垂れ込めた曇り空だったのに。

正面にミヒラブと白い大理石の説教壇がある。

今まで見たドームの中で1番好きかな。

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絨毯には一人の礼拝スペースがデザインされている。



夢枕獏の「シナン」
トルコへの興味がうすれないうちに是非読んでみたい。


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ガラタ橋から見たスレイマニエ・ジャミー


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トプカプ宮殿
- 2010/01/22(Fri) -
トプカプ宮殿

15世紀にイスタンブールを征服したメフメット2世が建設
歴代のスルタンが増築しながら400年にわたり居城としたとある。
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皇帝の門



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アヤ・イリニ教会


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表敬の門



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幸福の門


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右端のご夫婦の食事風景がいいですね!

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最も奥ににあるテラスから

トプカプ宮殿は、庭園が中央部分にあり、その周りにいくつもの建物が取り囲む構造になっている。
会議の間、謁見の館、ハレム(一部だけ)、宝物館等を観光する。
宝物館の86カラットの「スプーン職人のダイヤモンド」は
照明を落とした部屋の中で遠くからでも輝いて見えた。

宝物館だけは長い行列が出来ていたが、
歴代のスルタンが集めた宝物の数々
ため息です。

ハレムは時間がなく見なかったのだが、
その中の厨房では当時1000人以上の料理人が、
常時5000人分の食事を用意していたとか・・・
驚き!



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グランドバザール
- 2010/01/21(Thu) -
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グランドバザール入り口

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自由行動になる前シナンさんに
迷子になってもこの集合場所の門に戻れるように
この写真を撮っておくように言われた。
ヌルオスマニエ門

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入り口付近の雑踏
右端のおじさん いいですね!

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5000以上の店舗と2000以上の工房、銀行、モスクがあると言う。

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特別買いたいものも見つからなかったし
商品には値段が付いていないので、まずは値段交渉からはじめなければならず
これも面倒なのでウインドショピングを楽しむ事にした。
水タバコの道具や、トルコ石、絨毯、陶器、キリム
様々な店がいっぱい。



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途中チャイを飲んだお店のおじさん
このおじさんはメブラーナのお人形の付いた蝋燭立てを取り出して
火をつけてメブラーナのスカートがクルクル回る様子を見せてくれたりした。
暖かいチャイも美味しかったし、とっても楽しかった。


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ブルーモスク(スルタンアフメト・ジャミイ)
- 2010/01/21(Thu) -
トロイ観光を終えて船でダーダネルス海峡を通りイスタンブールに入る。
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ブルーモスク(スルタンアフメト・ジャミイ)

オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって
1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造
シナン(建築家)の弟子メフメット・アーによって建設
(シナン設計のスレイマニエ・ジャミイには次の日に観光をした。)

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中庭から見たミナレット
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ブルーモスク内部
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イズニックで作られた青い花柄のタイルの装飾が美しい
この美しいタイルの青から「ブルーモスク」と呼ばれるようになったようだ。
礼拝堂内部の広さは53m×51m
中央ドーム高さは43m。
中央円形ドームとその周りに囲むようにある4つの半円形ドームを
飽くことなく眺める。
イスラムのドームは何処も劇的空間だ。

中心のフロアーは男性の礼拝場所、
女性はその周りの仕切られた場所で礼拝をする。
女性が前にいると男性は神への祈りに邪念が入り集中できないからだと言う。




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ブルーモスクの西側にあるヒポドゥローム(ローマ時代の競馬場跡)に
建っているテオドシウスのオベリスク
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エジプトのトトメス3世がアメン神殿前に立てたものを
390年皇帝テオドシウス1世が
この地に運んだそうだ。




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トロイ
- 2010/01/20(Wed) -
トロイに行く途中のバスの中でガイドのシナンさんは言った。
「想像力なくしてトロイの遺跡は楽しめません、
想像力があればこんな興味深い遺跡は他何処に行ってもありませんよ。」


トロイは長い歴史の中で
繁栄と戦争又火事や地震等により、街は建築と破壊の繰り返しとなった。

街が何らかの理由で崩壊すると
その地の人々は地理的好条件のため
他に新しい土地に新たな都市を建設するのではなく同じ場所に街を再建した。
それが9回にもわたり繰り返され
その結果9層にもなる都市の跡が重なっているらしいのだ。


 

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案内図
トロイ第1期 紀元前3000~2600年
    ・
    ・
    ・
    ・
    ・
    ・
トロイ第9期 紀元前1世紀頃

3000年にもなるトロイ繁栄の歴史がはこの積み重ねの中に埋まっているのだ。




ドイツ人ハインリッヒ・シュリーマンはホメロスの「イリアッド」の話を信じて
発掘を始め ついに1873年トロイ遺跡を発見した。

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写真はシュリーマンが最初に遺跡を見つけた場所で、
多くの財宝がここで発掘されたという。
ガイドのシナンさんはここを「シュリーマンの穴」と言っていた。

続けて
「それは発掘というような物ではなくただの盗掘だった。
地層の時代を無視した強引な掘り方で
見つけた財宝はそのままドイツに持ち帰ってしまった。
『シュリーマンのような掘り方を決してするな』
と言うのがその後の発掘に携わる人の教訓になっている」
と話してくれた。





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こちらは第何期の層なのかを解るように発掘した場所



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ひとつの遺跡で9つの異なる時代を見ることができる貴重な遺跡として、
1998年にはUNESCOの世界遺産に指定されている。


トロイには前日のエフェスのように優美な建築物は殆んどなかった。
ただ目に見えるものとしては遺跡の基盤が残った廃墟といったものだった。
しかしこの地が今から約5000年前~約2000年前に繁栄した街が9層にも重なっているのだと思うと
遠い昔の歴史の中を旅するような気持ちになれ楽しかった。 

発掘が進んで今未知の歴史が又加わっていくのかもしれない。


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伝説上のトロイの木馬の複製の前の広場には捨てられたように
↑のような物があちこちに見られた。
何時の時代の物か解らないけれど、
神殿の一部を飾っていたものかもしれない。




ガイドのシナンさんの言った「想像力なくしては この遺跡は楽しめません。」
まさに言葉どうりだった。


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エフェス
- 2010/01/19(Tue) -
エーゲ海岸の港町として賑わい交易で繁栄した古代都市エフェス。
紀元前2世紀にローマ帝国の属領となり繁栄をした。



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ヴァリウスの浴場

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ハドリアヌス神殿

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クレティア通り
視線の先にはセルシウス図書館のファサードが見える


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セルシウス図書館(左)とマゼウストミトリダテスの門(右)

セルシウス図書館は135年ローマ帝国執政官セルシウスに捧げられた建築。
2階建てのファサードは大迫力で遠くからもその美しさは確認できた。
エフェスで1番優美な建造物とも言われているそうだが、
実際そのとおりで 時間のある限り遺跡の1部と思われる石に座って眺めていた。





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大劇場
古代ギリシャ時代にパナユル山の傾斜を利用して建てられ、
その後西暦1~2世紀に修復されたもの。
半径151m、220度、高さ約30m、トルコで最も大きな古代劇場だ。
約24,000人を収容し出来ると言う。

今も多くの有名人がこの大劇場を利用してコンサートを開催していて
レイ・チャールズ、スティング等もコンサートを開いたそうだ。


港に向かうアルカディアン通りは要人のパレードが行われたとか
「クレオパトラとアントニウスもここを通りましたよ。」
とガイドのシナンさんが言い、
映画の場面を思い出したりした。


この日の朝食から私の胃は一切物を受け入れなくなった。
昼食メニューのチョップシン(串焼き肉)などは見るだけでうんざりだった。

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コンヤからパムッカレへ
- 2010/01/18(Mon) -
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コンヤは住宅ラッシュと言うことでカラフルな集合住宅を
沢山観る事が出来た。

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ナスレッディン ホジャ(1208~1284)の像
現地ガイド シナンさん話ではトルコの一休さん
大変ユーモアのある賢者だったそうで、面白い小話が沢山残っている。
日本語版の本もあり、移動中に面白く読む事ができた。
ホジャさんは後ろ向きにロバに乗っていた。



  



パムッカレ 石灰棚
ローマの遺跡の中を進むと突然そこだけ一面に白い台地が表れた。
あふれ出る温泉水が作り上げた白い台地はトルコ語でパムッカレ(綿の城)と呼ばれている。  
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丘全体を白く染めた石灰棚だ。
靴を脱ぎ裸足になって滑らないように気をつけながら歩いてみた。
素足に触れる水は程よい暖かさで長旅の疲れがとれ心地よかった。



ヒエラポリス遺跡
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ローマ時代の廃墟のようにそのままに置かれた
それぞれの石組みが何故かとても美しかった。
人影の全くない景色だったせいかな。

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ローマ遺跡の円形劇場


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パムッカレ・テルマル
大理石の柱などヒエラポリスの遺跡が沈んでいる天然のプール
潜りながら遺跡見物が出来るって面白い!



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コンヤ メヴラーナ博物館
- 2010/01/18(Mon) -
コンヤは11世紀~13世紀にセルジュックトルコの首都があった。
頭にスカーフを巻いた女性が多く見られイスラムの宗教色を強く感じる街だ。 


メヴラーナ博物館
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メヴラーナ ジェラレッディン ルミ(1220年~1231年)は、
詩人又神秘主義的哲学者で宗教上の指導者 だったそうだ。
 
メヴラーナの教えはイスラム教という枠を越え、限りなく寛容で、
今でもユダヤ教 キリスト教 イスラム教の信者が
世界中から礼拝に来るそうだ。
 
この博物館の中には名僧たちの沢山の棺と共に
1番奥まったところにメヴラーナの棺が美しい織物をかけた状態で安置されていた。
その前でイスラム装束の女性が熱心にお祈りを捧げていたし、
観光気分でのんびり館内を見学するのははばかられる気持ちにもなったが、
それぞれの棺の上に乗せてある巨大な帽子の形がユニークで目を引いた。
 
そして印象的だったのは手書きで書かれたアラビヤ文字の美しい写本。
メヴラーナはメスンエヴィと呼ばれる書物を書いたとあるので、
そんな写本だったかもしれない。


メヴラーナの教え

人助けや奉仕の心は
惜しむことなく、流れる川のように

情け深さと優しさは、太陽のように

他人の落ち度や秘密には、夜のように

苛立ちや怒りには、死人のように

慎み深さは、大地のように

寛大な心は、海のように

自分らしく生きるか、さもなければ、外見通りの人間になりなさい




この教団にはスカートをはいた信者が音楽にあわせて、
くるくると回転をし踊るという祈りの方法がある。
回転することで、神との一体を図るというものだ。
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この写真はホテルの回転ドアに付けられた画だが、
こんな感じなのかもしれない。

オプションでその舞踊を観る事が出来たのだが、
自由時間を楽しむために参加しなかった。
今となってはほんとに残念だったと思っている。

1925年にこの教団の宗教活動は停止さえられたが、
今はショーとして観光用に公開されている。




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インジェ・ミナーレ神学校


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トルコ絨毯
- 2010/01/17(Sun) -
カッパドキア 絨毯工房

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結び目を二重にからませるダブル・ノットと呼ばれる織り方で
素材が抜けにくとても丈夫だそうだ。

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ウール素材の物、シルク素材の物がある。


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最高級品のヘレケやカイセリなどが販売用に広げられる。

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細かい織り模様


トルコ人にとって絨毯は大変な財産であるらしい、
そしてそれにに対する情熱にはびっくりする。
さかのぼると中央アジアの遊牧民だったので、
絨毯は生活の一番の必需品であったようだ。

全てが熟練した織子さんの一貫した手作業によるもので、価格も半端ではない。
しかし家計が困った時にはそれを売る事でしのげると言う。
上等な物であれば長く使った物でもアンティークとして価値が上がり高く売れると言う。
100年以上は品質が落ちずに使えると言うことで
家のローンのように絨毯ローンがあるそうだ。


販売用ではない特別室で見たのヘレケはまさに芸術品であった。




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カッパドキアからハッサン山を左に見つつコンヤに向かう。


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キャラバンサライ(隊商宿)


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ギョレメ野外博物館
- 2010/01/16(Sat) -
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カッパドキアには4世紀頃からキリスト教徒が共同生活をしていたが
その中心地がギョレメだった。
その後イスラム教徒の迫害を受け9世紀頃から洞窟教会や修道院を造りはじめ
10世紀には400もの教会があったという。



教会入り口
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             入り口で猫ちゃんが迎えてくれます。


リンゴの教会のフレスコ画
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聖バルバラ教会
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広大な台地に広がる幻想的な風景と
キリスト教の聖地カッパドキア。


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ゼルベ野外博物館
- 2010/01/16(Sat) -
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朝目を覚ましてカーテンを開けると、
カッパドキアの街はまだ闇に中にあった。
そしてコーランの響きが波打つように街全体を覆っていた。
それは朝1番の礼拝の時を知らせるのだろうか。
高く低く聞こえるコーランの響きは ここがイスラムの地である事を再認識させた。


ゼレべ野外博物館
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やわらかい岩をくりぬいた住居跡が無数にあり
教会のフレスコ画も綺麗だった。
キリスト教のギリシャ人90%とイスラム教のトルコ人の10%
が共存した時代もあったようだ。

しかも驚いた事にここには1960年頃まで村人が住んでいたそうだ。
岩が崩壊し危険だと言うことで今は近くに移住したらしい。

妖精でも澄んでいそうなメルヘンチックな三つの谷を今は
ゼルベ野外博物館として保存している。

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カッパドキア ウチサヒール他
- 2010/01/16(Sat) -
カッパドキアはエルジエス山とハッサン山の2つの火山が噴火を重ね、
(1000万年前~200万年前)
吐き出された膨大な溶岩や火山が灰何層にも蓄積
その後の雨や風による侵食作用のために出来た台地だそうだ。

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カイマクル地下都市観光、洞窟レストランで食事の後、
ウチサヒール、鳩の谷、デヴェレント、アブジュラル谷、ゼルベの谷の観光した。


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キノコや煙突のような奇岩が林立した風景もさることながら、
神が作ったのではないかと思わずにはいられない
奇跡の風景の大パノラマは、まさに絶景だった。

気球による観光も行われているそうで、
この日も雲に覆われた空に気球がのんびり浮かんでいた。




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カッパドキア カイマクル地下都市
- 2010/01/13(Wed) -
カッパドキアの最初はカイマクル地下都市観光
カイマクル地下都市_sh01
こんな穴をずーと降りていきます。


キリスト教徒がイスラム教徒の迫害から逃れるため造った地下都市だ。
地下8階まであり4000人~5000人が一時に住めたらしい。

ガイドを先頭に一人がやっと頭を低くして通れる穴をを進んだ。
「迷子になったら、矢印を頼りに自力で出てきてください。」
笑いながら聞いていたが、そこはほんとに巨大迷路だ。
結構怖くて前に行く人の姿を追いながら
傾斜した穴を右に左に降りていった。


(この状態はエジプトピラミッド内部に入った時と同じだ。
貴重な機会なのに、とても石組みの様子を観察する余裕はなっかった。)


地下都市と言うだけあってこの中に教会、役所のようなもの、学校等全てが揃っていたようだ。
人間は工夫してどんな環境でも生活を営めるものだと驚く。
信仰の力も多いにあったかもしれませんね。


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アンカラ アナトリア考古学博物館
- 2010/01/13(Wed) -
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古い隊商宿を改造した博物館
アナトリアに発祥した文明の歴史を網羅した博物館で
旧石器時代~ヒッタイト~ギリシャ、ローマ、ビザンチンまでの
展示物で埋まっていた。
これらは全てアンカラおよびその周辺で出土した物だそうだ。



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旧石器時代の壁画


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時代順の展示品


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ヒッタイト人が人類史上初めて鉄器を使用した。


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石版に彫られた楔形文字




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何時の時代か解らなかったけどとても綺麗な遺物



アナトリアの地から出土したヒッタイト時代のレリーフの数々
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時代順に丁寧なガイドを受けてたが
詳しくは頭に残っていない。
ヒッタイト王国(紀元前1680年頃~紀元前1200年頃?)
ハットゥシリ3世と言う王様とエジプトのラムセス2世の間で平和友好条約が締結された話は
何とか覚えているので、
その時代なのか と言う程度です。

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トルコ アンカラ アタテュルク廟
- 2010/01/13(Wed) -
カイロより空路2:25でイスタンブールへ
ボスボラス海峡を渡り、アナトリア半島中央に位置する
トルコ共和国の首都アンカラに向かう。


アタテュルク廟
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ムスタファ・ケマル・アタテュルク

600年続いたオスマン帝国を終わらせ
1923年トルコ共和国を建国、初代大統領となる

その改革内容がすごい!

イスラム法律の廃止
そしてスイス ドイツ イタリアをモデルとした新しい法律の確立
イスラム歴を西洋歴に変更
宗教の自由
言語の改革としてアラビヤ語からトルコアルファベットに変更
女性の地位の確立
教育の改革
等など。

トルコ現地ガイドのシナンさんはこれらの内容を熱っぽく語ってくれた。

シナンさんは日本政府の援助で日本に留学
東京外語大学で学んでいたそうで、
大変な日本通でもあったし、内容は興味深く、
そのしゃべりは最高に面白かったので
バス移動中も退屈している暇はなかった。
ここから8日間ほど全ての行程にシナンさんが付いていてくれた事は
私たちにはとても幸運だった。



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廟に登る階段には
「主権は無条件に国民に属する」
という言葉が刻まれていた。



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廟を守る衛兵

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そして衛兵交代式

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廟に建つ国旗の向こうにはアンカラの街が見えた。




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エジプト諸々 お買い物編
- 2010/01/11(Mon) -
エジプトでは観光地に行くと必ず物売りのおじさん、お兄さん 子供 たまにはおばさんがやってくる。

パピルスを売るおじさんは初めは「2枚でセンエン」
と言っているがそのうち「5枚でセンエン」になり
バスに乗り込む頃には「束でセンエン」になったりする。


そんなお兄さんに囲まれたツアーのお仲間のおじ様は
あまりにしつこいのでお財布を出して札を取り出そうとしたら、
その札を半分ほど持っていかれたそうだ。
数万円くらいの損害だったらしい。
大金を入れた財布をそんな場合開いてしまうのはまずいと思うが
なかなか厳しい現実だった。

イスラム教には義務として「喜捨」がある。
「バクシーシ」といってお金持ちがお金のない人にお金またはモノを与えなければいけない
という考えがあるようだが、これは行き過ぎ行為ですね。

しかし女性に囲まれてしまった物売りのお兄さんは反対の状況になる。
2個で10ドルのネックレスも
「あら高いわね。3個で10ドルにしなさいよ!」
と口々に言われまずい状況になる。
この方法は最高だと思っていたら、
どなたかのご主人が、
「そんなに値切ちゃ気の毒だよ、この商売の微かな収入で彼らは生活しているんだから。」と
まあ それもうなずけますね。



私は出発前に宿泊するホテルの位置をネットで確かめ、
近くにあるよさそうなお土産物屋さんを調べていたので、
ほぼお土産はそこで買った。
(エジプト綿のTシャツやエジプト模様の陶器の可愛いい小物入れなど、その他いろいろ)


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パピルス専門店

他にパピルス専門店で
バックが黒でエジプト模様のモダンなパピルスを買った。
シンプルな額で額装したら結構いいかも。
ここではお兄さんに「ボールペンを下さい」と直接言われた。
ネットで「エジプト人へのお土産はボールペンがいいよ!」
と言うのを見ていたので、ボールペンは沢山買って持って行っていた。
プレゼントしたら最高の笑顔で「thank you」のお返しあり。
ボールペンでそんな笑顔を!と
とっても嬉しくなった。

香水専門店では、いろいろ試させてもらったが
匂いが混じりあって全くわからなくなり、
シンプルにバラの香水を買った。
お風呂なんかに数滴落として入ったらいいかもね!
と思いつつまだ試してはいない。





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エジプト諸々 食事編
- 2010/01/11(Mon) -
ようすけさんにコメントいただいたので、
エジプトの食事の事等ちょっと書いてみます!

エジプトでは添乗員さんに、
お水はミネラルウオーター以外は決して口にしない事
歯磨きのあとのうがいも水道の水は使用しないように、
(これは何処の国も大差ないが)
火の通っていな物(生野菜、カットされたフルーツ等)も食べないように 
とアドバイスを受けた。
生野菜やフルーツ自体が悪いのではなくそれを洗っている水がいけないらしい。

それでも朝食はバイキング方式で食材は豊だったしパンも豊富な種類が並んでいた。
夕食も観光を終えて部屋でお風呂に入った後に
ゆっくりとホテルのでディナーバイキングだったので見て回るだけでも結構楽しめた。

この方式はトルコに行っても変わらずホテルのレストランに行くのはいつも楽しみだった。



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↑のようなわけで綺麗に並べられたサラダ類やフルーツを横目に
それでも白身の魚のムニエルぽい物、お肉のお料理 スープなどを食べる事にした。
私はバイキングの時には結構頑張るタイプだが
それが旅終盤に思わぬ結果になる事をこの時には思いもしなかった。



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ディナーの時のケーキ

お料理の写真は食べる事に夢中になっていて殆んど撮っていない。



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ホテルの中庭
私たちの部屋は1階にあり専用庭が付いていて、
3連泊の間充分楽しく過ごせた。


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エジプトっぽい内装の部屋


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砂漠の砂ぼこりを被ってはいたが、
今の季節にもブーゲンビリヤの花が咲いていた。







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ゴミ問題
- 2010/01/08(Fri) -
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エジプトはイスラム教の教えに沿って金曜日が休日
ナイル川沿いの綺麗な歩道で休日を楽しむ人々

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しかし小さな運河の両岸は日常のゴミであふれていた。
川にゴミを捨てる人も見かけたし、
又それを漁っている子供の気の毒な姿も見た。

街もメインの道路からちょっと外れると、
雑多なゴミであふれていたし、
何故だろうと帰って調べてみた。
全てが↓の原因とは思えないが。



ゴミ問題
2009年に世界的大流行した新型インフルエンザで豚から感染すると伝えられると、
国内にいる豚全ての殺処分および輸入が禁じられ、
その結果としてエジプトでは政府ではなく
主にキリスト教徒らが中心となって民間企業などが豚の餌として生ゴミの収集を
無償で行っていたが豚が殺処分され生ゴミの収集を行わなくなった結果、
カイロなどの都市部で生ゴミが多く放置される結果となり
深刻な衛生問題を抱える結果となってしまった。
ウィキペディア(Wikipedia)より


新形インフルエンザの影響はこんな形でも現れているのだった。


ともあれ活気あふれる大通り、
混沌とした魅力あふれる路地、
どちらもワクワクする位好きになりました。
笑顔で接してくれたエジプシャン
ありがとう!


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エジプト考古学博物館
- 2010/01/08(Fri) -
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エジプト考古学博物館入り口

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中庭

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中庭をお掃除する渋いおじさん
殆んど仕事をする気が有りません。
でも哲学的ないい雰囲気をかもし出していた。

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博物館および観光客を守るべく配備された兵士
銃を下げて要所要所を警備している。
物々しい感じも受けたが、現状ではそうせざるを得ないのだろう。

博物館もセキュリティチェックが厳しく
カメラの持ち込みも禁止になっていた。

ほぼ2時間半の見学時間
猛スピードで、1階の時代別展示を見て周る。

初期王国・古王国時代→ピラミッドの時代 (約4500年~5000前)

中王国時代→エジプト再統一の時代 (約4000年前)

新王国時代→ツタンカーメン、ラムセス2世の時代 (約3000年~3500年前)

末期王朝時代→アケメネス朝ペルシャ支配下時代 (約2000年~2500年前)

グレコローマン時代→アレキサンダー大王 クレオパトラの時代(約2000年前)

3000年間の遺物を1時間弱で見て回るって大変。
エジプトの黄金時代は紀元前で終わりを告げている。


その後2階のツタンカーメンの秘宝展示を見る。
まさに圧巻!
ツタンカーメンのマスク
それを何重にも包んだ棺もさることながら
私には前から見たかった黄金の玉座が印象的だった。
背もたれ部分のレリーフは
若きツタンカーメンの体に香油を塗るその妻アンケセナーメンの姿だ。
帰って来てアンケセナーメンについて少し調べてみたが、
第18王朝のファラオ、アクエンアテンと美しかったと誉れの高い正妃ネフェルティティの三女であったらしい。
ツタンカーメン死後の彼女の運命も波乱万丈面白く読めた。

その後ミイラ室に別料金で入る。
歴代のファラオのミイラの中央は
前日メンフィスにてその端正な顔立ちの像を見たラムセス2世の物だった。
そのミイラは髪の毛も唇から覗いた歯も綺麗でガラスケースの中に横たわっていた。
3000年以上も前に生きた人との遭遇
感動です!
本当にその時代にあなたは生きていたんですね。


メリトアメン女王(たぶん)のミイラの胸元には花束が置いてあり、
その中にはバラの花も原型を損なわず残っていた。
亡くなった女王にそっと手向けたその花はどんな色だったのだろう
などと少々ロマンチックな気分になったりもした。



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メンフィスへ
- 2010/01/07(Thu) -
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カイロの町では見ることの少なかった緑が
南下するごとに色濃くなり
ナツメヤシの植栽された林が延々と続く。
8月、9月に1本で150kもの実を収穫すると聞いた。


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農作物をのせた荷馬車を
スカーフをイスラム風に巻いた女性が走らせている。
何処の国もお母さんはほんとに我慢強く逞しい。
軒先や喫茶店のようなところで椅子に座り何をするでもなくボーとしているおじさんは
いたるところで多数見られたが、女性を見かけることはなかった。
きっとこのように家や外逞しく働いているに違いない。

メンフィスは古代エジプト最初の首都で
その後国の中心がテーベに移ってからも政治的経済的に需要な都市として繁栄を誇っていたそうだ。
しかし今は自給自足の静かな農村だ。



この地で発掘され横たわって展示されたラムセス2世像
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ラムセス2世の立像 7m

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アラバスター(大理石の一種)製のスフィンクス


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バスで移動中こんなテラコッタの鉢や壷を売っている店が沢山あった。
欲しい!なんて思ったけどこれはダメですね。


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ダハシュールと サッカラ
- 2010/01/07(Thu) -
ギザの3大ピラミッドの時代をさかのぼり
ダハシュールにある初期ピラミッドを見にナイル川沿いに南下する。


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バスより遠くに見えるギザのピラミッド



ダハシュール
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左・黒いピラミッド 左・屈折ピラミッド

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アメンエムハト3世の黒いピラミッド


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スネフル王の屈折ピラミッド
基礎部分の四角形の1辺188m 高さ105m(現在は97m)
途中から傾斜角度が変わり屈折ピラミッドと呼ばれている。


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赤のピラミッド
これもスネフル王が建設した。
一辺が220m 高さ105 傾斜角度43.22
ギザにあるピラミッドに比べると、
傾斜角度がゆるいので迫力にかける気がしたが、
ここで真正ピラミッドの形が出来上がったようだ。




場所を変え、サッカラにある階段ピラミッド
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エジプトで最初に造られたといわれるジョセル王(B.C2686-2613?)の
「階段ピラミッド」
建築家イムホテプが、王を埋葬するために建造
高さ60m、底辺123m

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ギザ 2
- 2010/01/06(Wed) -
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観光客をのせて歩いてくれるラクダ
足を折り曲げておとなしくお客さんを待っている。
私もここまで来たからには乗らなくてはと挑戦する。
座ってくれていても鞍の上に載るのはとても困難で、
民族衣装のおじさんに押し上げてもらう。


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折り曲げていた足を伸ばしておき上がるとこの高さだ。
しかも勢いよく立ち上がるので危うく振り落とされるところを
大笑いしながらも必死で体勢を整える。
ゆらゆらと歩いておよそ10mでラクダはすぐにUターンしてしまった。
こうしてつかの間のラクダ体験は終了した。

その後アラビアンナイトを思わせる装束のおじさんが私のカメラを取り上げ、
記念撮影をしてくれると言う。
しかもVサイン強要されやむを得ずポーズをとることに。

ここで手綱を持ってくれた少年に日本から持って行った3色ボールペンをプレゼントする。
彼もここでは立派な働き手なのだ。
(写真は私の次に乗った外人さん)



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露天のお土産物屋さん



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これが、スフィンクス!
長さ57m×高さ22m。
鼻が崩れてはいるが、凛として遠く彼方をみつめる姿は美しく
強い視線からは威厳のようなものが感じられた。

第四王朝カフラーの命により作られたと言うのが定説のようだが、
それはカフラー王のピラミッドの正面に鎮座している。
ライオンの体と人間の顔を持つスフィンクスは王又は神を守護するシンボルだった。




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ギザのピラミッド1
- 2010/01/05(Tue) -
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左・クフ王のピラミッド 右・クフ王の子供カフラー王ピラミッド

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高さ146・6m(現在高さ138.7m) 基礎部分の一辺230・3m 傾斜角度51.50度の
クフ王のピラミッドは目の前にあった。

4500年前古王国時代に10万人が参加し20年間かけて造られたという世界最大の石造建築
平均2.5tの石材を約270万~280万個積み上げたと考えられている。
その時代私たちの祖先は縄文時代であったのだ。

ハ~
しばし言葉を失い思っていたより鋭角の美しい巨大四角錐を見上げた。


内部に入る正面入り口は閉鎖されており、
観光客入り口は盗掘穴からとなっている。

ヒエログリフではピラミッドを△と表示しているそうだ。
このあたりとても解りやすい。




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カフラー王のピラミッドと
テロなどから観光客を守るために配備されている
ラクダに乗った兵士
完璧に絵になる風景


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今は表面を覆っていた化粧石が剥がれ落ちているが、
頂上近くにはそれが残っている。
全体が化粧石で覆われていた頃、
太陽の光を受け四方の砂漠に威厳ある輝きを放っていたに違いない。

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カイロ ムハンマド・アリ・モスク
- 2010/01/05(Tue) -
イスラム国家エジプトの観光はムハンマド・アリ・モスクより
始まった。

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カイロ イスラーム地区にあるシタデル(城塞)の丘にある
ムハンマド・アリ・モスク
オスマン帝国エジプトの総督としてエジプト全土を支配したムハンマド・アリがが建設した。
ムハンマド・アリ朝(1805年~1848年)

エジプトの砂獏の砂を振りまいたようなブルーグレーの空に
ビザンチン様式のモスクは均整の取れた美しい姿でそびえていた。




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その中庭後方にある時計台は、コンコルド広場へオベリスクを贈ったお返しとして
フランスのルイ・フィリップから贈られたという。
この中庭で身を清め信者は日に5回メッカの方向に向かい礼拝をする。


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中庭よりミナレットを望む
トルコ風の鉛筆型ミナレット



そしてステンドグラスとオイルランプのシャンデリアが美しい内部
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靴を脱ぎ厳粛な気持ち見上げるドーム内部は
繊細な装飾が施され鼓を描くランプが不思議な美しい空間を作っていた。
ここで敬虔な信者オマルさんよりイスラム教の教えの骨格と、礼拝の作法を聞く。


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リズムよく並んだアラビヤ文字


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スルタン・ハッサン・モスク


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カイロ風景




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